携帯電話がとても便利なものであることは私も承知いたしております。しかし、考えてみると多くの便利なものというのは、自分の能力を高めるためにならないのです。とくに携帯電話は、集中してものを考えつづける場合の妨げになります。E-mail の到着を知らせるパソコンの前に座ってものを考えるのも、やはりあまり賢くないやり方です。E-mail のやりとりの中で発見したことというのは「E-mail のやりとり」自身が実験になっている場合やそれ以前に自分が考えていたことが表面に現われる場合です。ともかく、そのような方法で見つかるものというのは、それだけでは浅いもので、深い考察は長い集中した時間を必要とします。私は数学の研究をしているので、その関係で知っていることを書き留めます。
他の人と話し合うこと、E-mail をやりとりすることは刺激になり、問題の糸口をつかむ役に立つことや、問題の整理に役に立つことはよくあります。しかし、そうやって解ける問題はもともと本質的なところが既に解けていたということなのです。研究者と呼ばれている人のなかにも、色々あり、得意不得意があって、その人なりに研究者としての存在価値はあると思いますが、研究の根幹は深い考察に基づいた解明です。これをするためには、長い集中した時間を必要とします。「フェルマーの定理」の証明をした A. Wiles はこの研究の時間は屋根裏部屋にこもっていたそうです。そして、その部屋にはテレビ、電話その他、集中をみだすものは一切おかず、しかも、何年間かに渡ってこの研究態勢を保ったのです。 A. Wiles はこの証明をする以前から優秀な数学者として知られていた人ですが、そのような人でさえこのような注意をはらっているのです。携帯電話をにぎりしめている人が「深い考察」ができるとはとても思えません。
私は授業中に「携帯電話は宇宙人が地球撲滅のため送り込んだ秘密兵器だ」といっていますが、これは学生諸君に長く集中して考えることができるようになってほしいと思って皮肉をいっているつもりなのです。しかし、皮肉ではなく面白い冗談だと思われているようで、極めて快活に喜んでくれるので「もういうのをやめようか」と思ってしまいます。色々な文明の利器というのは今までできなかったことを実現してくれます。しかし、それらは一人一人の個人を幸せにしたり、人間として満足できる能力を高めるということとは直接関係がなく、多くの場合反対に作用します。農業において労働が軽減化されたことは、「きつい労働」を知っている人には幸せをもたらすかもしれませんが、1、2世代たてば皆当たり前のことになってしまいます。そして、汗をながし仕事を終えたという幸福感を得る多くの機会を奪ってしまったことになります。もともと「幸せ」というのは便利ということとは全然関係のないことで、それと同じように自分の能力を高めるというのは、テレビゲームで色々便利なアイテムを身につけることとは全然関係のないことなのです。「自分の能力を高めること」というのはそれ自身、満足できる(このことは幸福感と関係しますが)ことであり、他人と比較したり競い合わなくても楽しいことです。
そうはいっても、携帯電話は便利な農機具がなくならないのと同じように存在を続けるでしょう。どうか「深く、長い考察」を心がけて下さい。
2000年4月10日 江田 勝哉